在宅介護の始まり

終わってから「よく在宅介護を決断してくれた」と家族から言われましたが
それは、私にとっては当然だと思っていました

私が小学6年生の1年間、曾祖母(同居していた父方祖母の母)と暮らしました
痴呆症で1世代上の人たちの名前で子供の私たちを呼び
何度も同じ少女漫画を読み、雑巾をチクチク縫い
人はボケるとこうなると子供心に深く残りました
私たち子供には「可愛らしいおばあちゃん」でしたが、
嫁の母は辛いこともあったようです

私の子供がまだ幼いころ、両親が祖母を自宅で1年介護、96歳で看取りました
近くに住んでいたので、度々その様子を見ていました
その少し前に、母方の祖父も叔父夫婦の在宅介護を受けて自宅で亡くなりました

兄は医学生の頃から終末期医療に関心を持ち、今は在宅医療に深く関わっています
私の身近にも在宅診療の先駆けとなったお医者さまがいらっしゃいました

学校卒業後の語学留学から帰国したばかりの頃
何もすることがなかったからと、日野原重明先生が開いていた
在宅介護の講習会にも行きました
何をどう習ったかは覚えていませんが
寝たきりの方のシーツやパジャマの交換の仕方はこの時知りました

という具合に、幼いころから両親を在宅で看取る準備が進んでいました

知らずに在宅介護を始めた訳ではないのですが
やっぱり、多くの犠牲が強いられました
父は、自分で望んでいた通り心不全で寝付くことなく逝きましたが
母は徐々に弱り、寝付いて4か月余り、時間的にも体力的にも大変でした

それでも、終わりを迎えようとしている母に寄り添わせててくれたのは母でした
この介護に多くを担ってくれた娘も
「おばあちゃんだからできるけど、おじいちゃんだったらしないよ~」
それほど、大事なおばあちゃんでした

憎たらしく思う人にやさしくはできませんね

先々優しく世話をしてもらいたいと思う方、今の自分を考えましょう~

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