スコットランド

スコットランド旅行ファイナル

6年ぶり、2週間の渡英。
ロンドン南西部に住む友人に会ってから、スコットランドへ。
この2週間に会った友人は10人とその家族
会う約束して訪ねた人2人
帰り際にヒースロー空港の乗り継ぎ時間に会いに来てくれた娘の友人だけ日本人❗️


1人旅でのんびり、、、かと思いきや
沢山おしゃべりして、時間はあっという間に過ぎました。
間は空いているものの、48年来の友人もいます。
私の英語力では、友人たちが話してくれることを全部理解できるわけではないけれど
知っている単語を拾い集めて、なんとなく理解!
それも日本語にできなければ、覚えていられない😥💦
でも、聞いているのは楽しいし、1人暮らしの友人たちは話す相手ができて嬉しい⁇
お返しができないのに、暖かく迎え入れてくれる友人たちの存在は大きいですね❣️

Kateの息子さん家族が夕食後訪ねて来てくれて
7歳のお孫さんはハイランドダンスを踊って見せてくれました。
人懐っこく、ニコニコ自分から話しかけてくれる可愛いお嬢さん

初めてこの家族に出会えた頃、あまり人の前に出たがらなかった息子さんも
良いお父さんになって、亡くなったお父さんに似てきました。

コロナがあって、少しずつやっぱり様子が変わっていました。
旅行者が増えているのに、空港の人出不足なのか
乗った飛行機は遅れて、1時間遅れで席に座ってから動き出すまでまた1時間
ロシアの戦争で、飛行ルートが変わりロンドンまで14時間
行きは羽田から東へ、アラスカ、グリーンランド、ブリテン島の北から南下してロンドンへ
帰りもロンドンから東へ、ベルギー、トルコ、中国と西日本から羽田へ
外は見えないけど、ちょっとした世界1周ですね
出国、入国もパスポートをセンサーにかざすだけ
海外に行ったというハンコは無い

そんな旅の一コマを思い出すのは楽しいけれど
今度は自分の織りや教室を楽しもうと思います。
すでに始まっているし、、、
次はそんなお話しにしましょう〜

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スコットランド旅行③

スコットランド旅行最後の滞在地は、私の第2の故郷Turriffです。

仕事の屋号のタリフは、この街の名前です。
古くからある街で、アバディーンから北へ続く道の途中にあり
スコットランドで第2の規模の農業祭が開催されます。
100年続く地域のバグパイプバンドもあります。

初めて訪れたのは1981年
街から5kmのところに住んでいたDavidにツイードの手織りを習いに行きました。

Davidが亡くなって4年、奥さんと沢山思い出話をしました。

2001年からの日本人のための手織り講習会でお世話になった農場の奥さんKateの家に泊めてもらいました。


8年前にご主人が亡くなり、今は少し離れた家に1人暮らし
麦畑の中にポツンとあるような家を、代々リフォームしながら使っています。
幼い子供たちと暮らし、その後世代交代でファームハウスのご主人の両親と入れ替わり
両親が亡くなって、息子夫婦が暮らし始め、その後息子が農場の後を継いでファームハウスへ。

Kateは誰もが知るもてなし上手❣️ 
手織り講習会の時には、いつも美味しい手料理がとても楽しみでした。
コロナワクチンが原因と思われる体調不良からやっと回復してきたところだそうで
とても心地よく過ごさせてもらいました。

近くにあるDeligatie城に行きました。
グループでツアーをした時に、ハイランドダンスやバグパイプを楽しませてもらったところです。
お城としては小さく近年まで個人の住まいだっただけに、生活感が残ります。

左下の写真は、城の入り口近くの道に設置されている家畜が通れないようにパイプを設置した物
羊などが放牧されている広い牧草地の中に道が通っているところで見かけます。
車はゆっくり通りますが、動物は足がはまるので通れません。

このスコットランド北東部は、北西部に広がるハイランドとは違い
気候も比較的温暖平な土地に土があるので牧草地や麦畑が広がります。

天気が良く、街のシンボル「タラクー」(タリフの牛)も懐かしい❣️
街のお気に入りの文房具店や、家具やステキな雑貨が並ぶお店も、変わらず楽しかった。
カフェで友人に会っておしゃべりしました。
無くなってしまったお店もありますが、街の賑わいは変わらない。
アバディーン行きのバス停で、乗り込む人たちを見て
ダンディーへ行く父を見送った時を思い出し、、、
故郷は良いものですね❣️



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スコットランド旅行続き②

スコットランド北東部Elginでは、
コロナ禍で1人閉じこもる中、日本から花の写真を送り続けていた友人と再開❣️
直に会って話すのは楽しいいものですね。
夜遅くまで明るいこともあり、話し続けて気がつけば11時、、、

友人の手助けがあって、公開していない織り工場見学ができました。
工場はどこも同じようでいて、少しずつ違い、なんだか嬉しい❗️
地図にもはっきり出ていない工場は、1982年にDavidに連れてきてもらった工場でした。
その当時の工場は無くなり、跡地の一部がタータンを織る工場になっていました。
うる覚えの記憶も、懐かしい❗️

ElginからTurriffへの移動の途中で寄ったのは
小さな港町の倉庫で織りをしているWoven in The Bone
今年で10年目、私が初めてSamを訪ねたのは2015年
ハタスリーの織り機が1台しかありませんでした。

今はドビーを含めて織り機は3台、大きな整経ドラムもあって、
アパレルとの繋がりもできて、ユニークな仕事を続けています。
詳しくは彼女のインスタをご覧ください。

このハタスリーという織り機は、ペダルを踏むことで自動で動きます。
手織りというより、半分以上機械織り‼︎とSamは言います。
ハリスツイードも、シングル幅はこの織り機です。
手織りと機械織りの中間くらいですね。

私がツイードを習いに行った時もDavidはこの織り機で織っていたので
これもなんだか懐かしい❗️

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スコットランド旅行の続き①

旅行から帰ってきて、あっという間に2週間
思った以上に時差ボケ解消に時間がかかり
疲れも徐々に出て、、、
帰宅を待っていた仕事もあり
すっかり間が空いてしまいました。

スコットランドのお城の中で一番のお気に入りは
インバネスから30分ほどのところにあるCawdorCastle コーダ城

「手織りのタータンチェック」でも紹介していますが
スコットランドで数少ない個人所有のお城で、最近はコンサートをしたり、
イベントの企画をしたり、多くの人が訪れています。
駐車場から歩いて行くとバクパイプの演奏で迎えてくれます。

良く手入れされた庭には沢山の花が咲き誇っていました。

お城の中をオーディオで日本語の説明を聞きながらゆっくり回り
カフェで一休み、庭を散策してお花を楽しみました。

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スコットランドから帰ってきました‼️

木曜日に予定通りスコットランドから帰国しました。

2週間に会った友人は、Englandで2人、Scotlandで7人、訪ねた先で初めて会って話をした人2人。その度に、私の限られた英語力最大限にアンテナを張って、会話を楽しみました。話している時は理解しても、最終的に日本語に変換できていなければ、明確な記憶にはならない、漠然と捉えた記憶として残るのみ。
でもそれが残るべき内容だと理解して、これまでも蓄積してきました。

喜んで迎えてくれた友人たちに大きな感謝❣️
かけがえない宝物をいただきました。

そんな友人達に会いに行った今回の旅、Scotlandでの走行距離は466マイル約745km

急ぎの仕事を済ませてから、続きの旅の記事を書きたいと思います。
またzoomでのスライドショーも考えています。

写真は帰える日早朝のアバディーン空港の空。
帰国した後とても暑いそうです💦
20°Cあれば夏❗️それが27°C‼️

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スコットランド旅行 北上しました

スコットランドの旅を少し戻って、、、

DundeeからElginへの道は高速では無く、田舎道をくねくねと行きました。

途中近くを通るので、初めてバラモール城へ寄りました。
広い庭を散策できるのですが、先を急ぐのでお城を見るだけ。
ビクトリア女王が愛し、エリザベス女王が愛して亡くなった城

観光客が居なければとっても静かなところです。
次の機会が有れば、ゆっくり来たいところです。

その後のドライブはスコットランドの真ん中辺り、
山?は岩で、気候が厳しいので植物が生えにくい。
わずかな土で岩に張り付くようにヒースが生えています(暗く見えるところ)
8月には花が咲いて山が赤紫になります。

こんなくねくね道をこちらの人はかなりのスピードで走ります。
私は怖いので遅いため、気がつくと後ろに車が何台も、、、
そんな時は小さなパーキングスペースに車を止めて先に行ってもらいます。
写真下中央のような道を50マイル(80キロ)で走ります。
私は60キロくらいがやっと、もう少しゆっくり走りたい。

この日は欲張って途中のKnockando Woolmilにも寄りました。
道を間違えて、着いたのは営業終了20分前。
ショップを見て、閉める用意をしているカフェでお茶を1杯。
写真のテディベアを連れて帰ります〜

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タータン展 A&V Dundee

2005年に87才の父がタリフでの手織り講習に同行して、
ダンディーまで南極探検船ディスカバリー号を見に一人旅をしました。

東京オリンピックがあった1964年6ヶ月の研修のために訪れたヨーロッパ。その間ロンドンのテムス川に係留してあったこの船を見たそうで、その後どこへ行ったか、と数年かけて調べていました。
今のようにインターネットネットが有れば簡単ですが、、、
少しずつネットを使い始めていたものの、私は見つけてあげる気がなかったのでしょう。
そんなことを思い出しながら、初めて訪れたダンディーです。

目的のタータン展が開催されているV&A Dundee(ビクトリー アンドアルバートダンディー)の隣にディスカバリー号があります。
父の写真から思っていたより、実物は小さな船だなぁと思いました。

そしてタータン展
確かに古い物が多く集められ、解説もされていて良かったです。
もっと年代や歴史が分かると当時が想像できるのにな、と思いながらも一つ一つ丁寧に見て周りました。
どれだけ思い出せる???

でも現代のタータンの提案は、私たちの日常から離れ、ファッションショーに出てきそうな奇抜な物が多く、ちょっと馴染めない感じ。
この基本企画をしたのはファッション界の人だとか。
もっとタータンの持つ奥深い人々の想いを伝えられると良いのになぁという感想が残りました。少なくとも、神戸タータンのように、神戸の人たちがみんな知っていて、それを暮らしの中で楽しんでいるような話が紹介されていると、タータンの持つ本来の魅力が一般の人々の近くにある物なるでしょう。
今回の旅で、自分のタータンのベストを着ていますが、それを見て声をかけてくれる体験をして、思ったことです。

日本が明治時代タータンをたくさん輸入して、タータン業界に貢献したというコーナーもありました。
着物から衣服が西洋化して来た時代です。
伊勢丹の紙袋の展示もありました。

でもやっぱり私の興味は手仕事の時代。

大きなシェパードチェックのストールは1830年代のもの
50cmくらいの幅を2枚剥いでありました

右は経と緯が組み合わさってチェックになる説明のとこにあった物
あまり古く無さそうですが、手織りのようです。
機械織りのは無いふんわりした風合いが残っていました。



たくさん種を撒いてもらったので、芽が出るまで大事に育てましょう❣️

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6年振りの再会

6年振りに英国に来ました。

いつもながら、英国に来るのは自分の日本人としてのアイデンティティを確認することでもあります。
 
旅の始めから、飛行機が遅れて長く待たされましたが、これもコロナ禍の影響が色濃く残っているように思いました。コロナの心配が減って人が動き始めたのに、そのために働く人が確保できずシステムの機能が間に合わないようです。

ロンドンに着いて、途中途切れたものの、48年近い交流があるSurreyに住む友人宅へ。

英国の中でも自然豊かな地域で、のんびりさせてもらいました。
元英語の先生なので、時々間違いを直してくれるし、良く聞いてくれる、、、
おかげさまで随分英語が出てくるようになりました。

もう1人の友人とも会って、花が咲き乱れお庭を歩きながら何年分かの情報交換


昨日はロンドンからエジンバラへ、そこから車でダンディーまで来ました。
また飛行機が遅れたために宿に着いたのは夜8時過ぎ。
日が長く、天気も良かったので、夕方になりかけのような感じです。

見える建物の色がレンガ色から石の色に変わりました。

今日はV&A Dundee でタータン展を見に行きます。
2005年に87才の父が手織り講習会に同行し
Turriffから南極探検船ディスカバリーを1人で見に来たところでもあります。


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エリザベス女王への哀悼

英国のエリザベス女王のご逝去に際し、心からの哀悼を表します

世界中でこれほどの人物が他にいたでしょうか?

20代始めに英国に語学留学した際、英国の文化に感化されて私の生き方の一部にもなっています

時々に報道されるスピーチではいつも思いやり溢れ、人々の指針を示され、
希望へとつながる言葉の数々に励まされ、困難な時の支えとなりました
特に心に残るのは、「皆が団結することで必ず困難を乗り越えられる」という
コロナ感染拡大の不安の中にいた人々へのメッセージです
1人ではなく他の人と手をつなぎましょう〜

私の想いは、現地で花を手向ける人や
葬列を見守る人々、最後のお別れに訪れた人々とともにあります

女王に贈りたい言葉は新国王や多くの人と同じく「ありがとう!」


2002年スコットランドバルモーラル城近く、ブレーマーのハイランドゲームに来られたエリザベス女王
他の人たちが道に並び始めたので一緒にいて、エリザベス女王をお迎えしました
その時に私が撮った写真です



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スコットランドからの訃報

スコットランドから、恩師 デイビットの訃報が届きました



この写真は2010年に撮られたものです
訪ねる度に「年取ったなぁ〜」と健康を案じていました
8月15日は彼の誕生日で、メールを出しても返事が無いので
電話してみようかな…と思っていたところでした

この1年ほどは血圧低下などからくる脚の痛みが悩ませていたと聞いていました
積極的な治療をしない選択をして、自宅で過ごしていて
2週間地域の病院に入院したのち、7月30日に亡くなったそうです
2人の意思で、葬儀もしなかったそうですが、それ以上の詳細は分かりません

1人になった奥さんが気になりますが
「あなた方が思うより彼女は強いわよ」というケイトの言葉に、ちょっと安心しました
自分では車も運転しないし、私が知っている彼女はいつもデイビッドが助けていました

訃報を受けて、今の私が在るのはデイビッドの存在があったからだと
改めて気がつかされました
手織りのことだけでなく、いつも変わらず、できる限りの手助けをするために
待っていてくれる人がいてくれるのは大きな支えでした
「あなたはここまできたら、デイビッドの助けが無くても大丈夫!」と
神さまが連れて行ったような気がします

スコットランド手織りコースで教えてもらった方や
ツアーでタリフを訪ねた時に会った方もたくさんいらっしゃいます
もし、その中で「お悔みのお花」に加わりたい方がいらっしゃいましたら
メールでご連絡ください

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