日本に長く暮らしたご夫婦

まず訪ねたのは、コペンハーゲンから電車で30分ほどの所(snekkersten)に住む友人で、国連大学で長く働き、東京にも17年住んでいたことがあるヴァウンとキオステンです。時々話の中に『ふるさと』と日本語が入ってきます。これはデンマーク語より、より彼らの気持ち通りの言葉だから今でも使っているとか。海外の暮らしが長かっただけに彼らの故郷
Mammenは心のよりどころと成っているのでしょう。日本から色々なものを持ち帰り、魚用の角皿を前菜に使ったり、ご飯茶碗でヨーグルトを食べたり、日本人がしたら違和感ありでも、彼らがすると自然に感じるから不思議です。

2人とも英語が出来るので、英語で会話をしてくれるのですが、もどかしくなるとデンマーク語を使っていました。 夢中になると、私に真顔で、デンマーク語で繰り返し話すキオステン、きょとんとする私。気が付いて、みんなで大笑い。東京在住の折に訪ねた時と同じ、暖かいもてなしで歓迎してくれました。


福祉国家のデンマークは、高い税金(収入の約50%)を払う代わり、年金などが充実していますから、その時手にしたお金は貯蓄をしなくてもいいわけですが、その代わり25年デンマークに住んで、収入を得、税金を払わないと年金はもらえないのだそうです。だから、彼らの様に海外で長く働いた人は当てはまらないということも有り得るのですが、幸い勤め先が国連大学だったことで、認められたそうです。退職したヴァウンは趣味の歴史書などを読んだり、森を散歩したりして過ごし、何かしているのが好きなキオステンは、近くのヘルシンゴーという町のチャリティーショップでボランティアのリーダーとして活躍しています。

    ヘルシンゴーの街と郊外にあった1735年に建てられた家









その彼らの『ふるさと』に住む古くからの友人、インガー・ゴアーと私をつなげてくれたのが、キオステンです。

ここでは、前回ショップしか見られなかったクロンボー城を訪ねました
右の、ホルガー・ダンスクは中世に国を守るために大活躍、その後ここに座って眠り
国家の一大事に目覚めて奮戦してくれると言われています