2009年 10月 の投稿一覧

名脇役

今週、初めて手織りをするという方の体験講習がありました
その色選びをしていて、一つ気がついたことがあります

英国を中心に発達した毛織物、ツイードは
原毛を染めて複数色を混ぜて作った紡毛糸で織られたもの
その流れか、現在タリフで販売している工業用の糸は
ほぼ全色が、複数の色を混ぜて作られています

その良さは、他の色との相性がとても良いこと
たとえば、少し濃いピンクが混ざっている紺は、赤系の色と相性がバツグン
なのでチェックを織ると、一つの糸が、色々な顔を見せてくれます

沢山の色がある中で、合わせる色によって見え方に違いがある事は気がついていました
これは、9月にマフラーキット発売を始めてから人気が有るチェックです

このチェックでとてもきれいな色を出している濃いモスグリーン
今年になってずっと人気があって、工房での講習に何度も登場しました

今週体験講習をしたTさんが選んだのはこの緑ともう少し明るい同系色の緑
でも、これで織ってみたらなんだかきれいな色に見えません
横糸に他の色をいれてみたら、沈んでいた色がきれいに見えてきました
この色は、名脇役ですねぇ

そういう目で、他に色を見回したら、同じような脇役が沢山いました
その反面、主役にしかなれない色も・・・・

色の不思議を体験した出来事でした
だからチェックを織るのは止められない・・・限りない組み合わせです

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まとめ

数日お休みしてしまいました
工房で手織り講習が始まり、糸の注文が入ったり
忙しい日常が戻ってきました

今日は、私がしているウールの服地を織ることに関することのまとめにしたいと思います

続けて読んでいただいた方はお気づきかもしれませんが
私が興味を持っている織りは、英国の1800年代です
産業革命で紡績が出来るようになり、それまで手紡ぎ糸を買って手織りをした人が
紡績糸を買って服地を生産したり、
また織物工場の大きな機械で布を生産もしていた、そんな時代でしょうか・・・

1982年に初めてスコットランドに服地の織りを習いに行った時
教えてくれたデイビットは、ハタスリーという機械のような織機で服地を織っていました
それをクラフトフェアーに出店して売ったり、また夏に観光で訪ねて来る人たちに
自宅でデモンストレーションをして見せて売って生計を立てていました
まだほんの少し残った昔の名残なんでしょうね
2001年に彼もやめてしまい、小さな織物工場も次々閉鎖されて行きました

横道にそれました
紡績糸を使って手織りにする服地 これを1800年代のものとすると
日本でスコットランドから伝えられたと言われているホームスパンは
それよりかなり古い年代のものと言えるでしょう

最近一つ疑問が出てきました
英国の毛織物(ツイード)は必ずあや織りなのに、
最近目にするホームスパンの服地は平織りの物がほとんど、
平織を好む日本になじんでしまったのでしょうか???
今度ホームスパンの大先生に伺ってみましょう

そして、私がデイビットから紡績糸で織る事を習って以来、この服地のメリットは
自分の色のオリジナルデザインで織ること、手織りを楽しむことだけと思っていました
織工場の機械で織るのと同じ糸を使って、手織りにして工場に出して仕上げをしてもらう
ホームスパンに親しんでいる方々からすると何が手織り???と思われるだろうと勝手に思っていました

しかし、今回ツイードが好きで布を見に来てくださった方から
スロープロセスの良さがあるとを教えていただきました
なるほど、服地を織っていて解いた時にその糸が随分伸びてくることに気が付きました
横糸がゆったり入っているという事でしょう

そうすると、ひと昔前の動力の織機は、杼が比較的ゆっくり動いているのに比べ、
私は手で杼を入れているのでもっとゆっくり、
新しい機械は杼も使わず目にも止めぬ速さで織っていくのとは比べ物にならないのは、明らかでしょう。 

そんなことを知ってますます服地が織りたくなった
今、チェック展前に織るのをあきらめた物を織って、楽しんでいます

長々読んでいただきありがとうございます
私が服地を織っている糸も、販売していますので興味が有る方は問い合わせください

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1800年代

漠然と、好きで織っていたチェックが、その背景がわかってきて
全体が見えるようになった気がします

スコットランドは、歴史の中で度々イングランドに攻められ、多くの戦いをしていましたが
1745年から1746年の戦いで、完全に破れ、イングランドに統治されることになりました
その時に、統治を完璧なものにするために、イングランド政府はスコットランド特有の文化、タータン、バクパイプ、スコットランドの言葉などを全面的に禁止しました

この時に多くのスコットランド人がスコットランドを離れ、カナダやアメリカに移住したそうです
先日チェック展の最後に来た青年たちの言葉を借りれば、追い出されたという感じでした

その後、1837年に即位したビクトリア女王がスコットランドが大好きで
バラモーラル(アバディーンの南西)に保養のための城まで建て、スコットランドの文化復活に至った・・・
その頃から、氏族のタータンという考えが画一されてきて、発達していきました

前にも書きましたが、その頃氏族ではない領主が自分のチェックを決めるようになり、これもエステートチェックとして、タータンと一緒に発展してきました。

ちなみにタータンには、決まりがあり、正式にはその条件を満たしたデザインがタータン協会に認められて初めてタータンと呼ばれます。現在では氏族に限らず、何か大きなイベントの記念にデザインして登録したタータンや、日本の私立高校の制服にタータンをデザインして登録したようなものもあるそうです。6月の旅行の折りにタータンの織物工場の人に聞いた話では、新しいデザインを登録するのは、とっても難しいそうです。 沢山あるデザインの中に同じものが無いかを調べるだけでも、かなり大変だとか。

日本では、グレンチェックのようなものもひとまとめにして、タータンチェックと呼んでしまう時もありますね
それは、ちょっと残念

これらのチェックが発展したのは、産業革命後、1800年代、19世紀で、それは音楽や文学、絵画などの他の文化も大きく発展した時期と重なります。 量産が可能になってきて、生活がレベルが上がってきた時代なんでしょうね。

すごく大雑把な見方ですが、大体の感じは掴んで頂けるかと・・・・

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ガンクラブチェック

私の母くらいの年代の方々(80才代)なら、グレンチェックとともに
ガンクラブチェックという名前を聞いたことがあるでしょう

このチェックは、Coigachという領地のチェックです
本によると、このチェックがアメリカ合衆国の銃のクラブのユニフォームに使われ、この名前の発音が難しかったので、ガンクラブと呼ばれるようになったそうです



チェック展の会期中に若者のほかにもう1人スコットランド出身の方が来てくださり
皆さんにどういう発音なのか聞いてみましたが、いずれもはっきりしたことはわかりませんでした

このチェックがオリジナルガンクラブチェックですが、後に同じような構成のチェックをまとめて、ガンクラブと呼ぶようですね
オリジナルは8本ずつのチェックですが、6本ずつ、4本ずつ・・・
またもっと大きなサイズもあるでしょう

このチェックの元になっているのも、前回書いた羊飼いのチェックです

スコットランドチェックも入り込むと、もっと奥が深いです

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羊飼いのチェック

羊飼いのチェックと呼ばれているものがあるのをご存知ですか?

正確には、これはスコットランドの領地に属したチェックではありませんが
沢山のデザインの元になったチェック


本によると
スコットランド南部、イングランドと接する地域はスコットランドボーダーと呼ばれています。境目といういみですが、その地域にチェビオット(羊の種類)が沢山いたと聞いたことがあります。そこの羊飼いさんが見につけていたのが、この白黒のチェックの大き目の肩掛け(プレイド)です。

スコットランドの北西部、ハイランドに産業を興す目的でボーダーから羊を連れてきたときに、羊飼いも羊についてきたことから、この地域に羊飼いのチェックが伝えられました
そして、前に書いたグレンチェック、グレンアーカートは、このある程度大きな白と黒のブロックと、細かい模様を組み合わせてデザインされました
このグレンアーカートがデザインされたのが、1840年代というので、あまり古くありませんね

6月の旅行で初めてスコットランドボーダーに行きましたが、その折ガラシールズの街で始めてこのパターンが使われているのを見ました。ガラシールズは糸の単位に使われる程、かつて毛織物産業が盛んだった地域です


この羊飼いのチェックは他のデザインの元にもなっています

つづく・・・

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今日はお休みを

スコットランドチェックのことを連続で書こうと思っていたのですが
今日は旅行に出る母を東京駅まで送り
その後、よせば良いのに欲を出して、浅草橋へ
色々見て楽しかったのですが、さすが疲れていたみたい
頭痛が治らず、今日はお休みします

さあて~ 片付けをしなければ・・・・

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スコットランドチェックの話

私がずっと手織りで楽しみ、掘り下げてきた Scottish Estate Tweed
今回のチェック展で実物デザインと説明文を用意して紹介しました
作品展の間にこれらのパネルの前で
何度もお話したスコットランドチェックの話があります

それは
タータンは、氏族に属するチェック
氏族ではない領主が誕生して、自分のチェックが欲しい
でも氏族ではないので、タータンは使えない
それで自分の領地のチェックとして作られた1つが
世界中で有名な、グレンチェックです(画像一番左)

それぞれ名前が付いています

通称グレンチェックの発祥がスコットランドだということはご存知でしょうか?
グレン(Glen)とはスコットランドの言葉で、渓谷という意味
正確にはグレンアーカート(Glenurquhart)
アーカート渓谷に領地を持つ領主婦人が自分の領地のチェックとしました
デザインしたのは、その地に住む婦人

このデザインにもお話が付いているのですが、それは明日

今年の旅行で手に入れた子供のためのスコットランドの歴史の本を読んで
もう少し全体が見えてきて、短い説明で全体をつかんでいただく説明が出来るようになりました

日本では、タータンも含め、スコットランドチェック全般をタータンチェックという和製英語で一括りにすることが多いのですが、タータンは人に、エステートツイードは土地に属すという大きな違いが有ります
意味がわかると、もっともっと面白くなります

昨日紹介したサッカーのスコットランドチームの応援にきた若者たちです

彼らのご先祖はスコットランド出身、グラスゴー近くから来たそうです
1746年にイングランドとの戦いに敗れ、タータン、バクパイプ、スコットランドの言葉などが禁止された歴史に触れると、すぐさま『多くのスコットランド人が自国を離れ、アメリカやカナダに逃げた、追い出された』と言うことを話してくれました
だから、ハイランドのお祭りにカナダからバクパイプのチームが来ていたのですね
1999年に300年ぶりにスコットランド政府が認められ
最近はスコットランド人が自国の誇りをより大切に思うようになったそうです
キルトをはいている人を良く見るし、バクパイプを練習している若者にも出会いました

もっとスコットランドチェックに興味を持ってくれる人が増えるとうれしいですね

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感謝 感謝 です

6日間の会期が無事終了しました

春からずっと追われるように様々なことが続き
作品展2日前と前日は疲れで思うように出来ない状況でしたが
台風が幸いしたのか、初日は開店休業に近かったので
その後、少々腰が痛かったものの、皆さんにエネルギーを沢山頂きました

この6日間に140人ほどが訪れてくださり
スコットランドチェックの話を沢山させていただきました
最後のお客さんは、なんとスコットランドの青年たち、1人はキルトをはいていました

表参道通りに出してあった看板を片付けに行った息子が
『キルトをはいている人がいるよ~』といっていたら
その人たちが、ギャラリーまで付いてきました
サッカーのスコットランドチームの応援で来日、応援の時はみんなキルトをはいていたそうです
200人も来ているとのこと
会期中にお客様から『新宿で見た』『原宿にいたよ~』と聞いたわけがわかりました

スコットランドの話を15分程して帰られました
写真と内容はあした

会場に足をお運びくださった皆様、ありがとうございました
これから皆様に頂いた色々な、そして貴重な宝を他の人たちと分かち合い
お返ししていきたいと思います

今後ともどうぞよろしくお願いいたします

PS コメント認証式にしたのに、わけがちゃんとわかっていませんでした
コメントくださった方々、失礼いたしました
以後気をつけます

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休日の表参道

皆さんご存知のように休日の表参道、原宿は、本当にたくさんの人がいます
今、チェック展をしているギャラリーは表参道通りから少し中に入った所
でも、中の細い道を結構たくさんの人が入ってきます

表参道通りにだしてあるギャラリーの看板を見て、路地に入ってくる方々もあります
今日はそんな通りすがりの方々と楽しいお話をしました
初めてスコットランドの人が・・・・

もちろん知っている方々もたくさん来てくださいました
妹が指導している体操グループの人たちが、オープンクラスの後来てくださいました
長く体操をしている方々で、私も顔見知りです
皆さん、とっても元気、とてもにぎやかな時がうれしかった

図らずも、偶然来てくださった若い方々と心のことを話す機会がありました
お嬢さん2人とも、まっすぐ私の目を見て話をする
心を開き、何かを求めているのが伝わってきます
スコットランドや織りの話からはずれ、生きることの話に・・・・
彼女たちの心に触れ、心に届く話が出来た(自己満足????)様に感じました
若い魂、自分らしく、自分をしっかり持って幸せに生きて欲しいものです
それを聞いていた長男、何か得る物があったでしょうか???          

話していて私も再確認
私が手織りを通して皆さんに伝えたい『あなたはあなたでいい』
自分と向き合いつつ、出会い、出会った人たちの心、大事にしたい

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ツイードが好きな人たち

昨日は、男性のお客様が3人ありました

そのうち2人は通りすがりに、ポスターに誘われて入って来てくださいました
1人目は体格が立派な外国の方
『どちらからですか?』と英語で聞けば、日本語で『島根です』
モスクワから島根県の大学に来て20年経つとか、
島根県はモスクワより寒い(暖房が違うそう)から温かいマフラーが欲しいと・・・・
チェックキットの見本としてあった赤いマフラーがお似合いでしたが、
決定するまでにはならずに帰られました

2人目は、他の人が持っていないものが良かったらしく
しばらく、一つ一つの作品を見てくださり、前の方と同じ赤いマフラーを首にかけ・・・・
とてもお似合いでしたが、最後の決め手に欠けたのか、
会期は何時までですか?と聞いて帰られました

そして3人目は暗くなってから着てくださった、
ジャケットを着たいかにも服地に興味が有りそうな様子の方
しばらく前に、手織りはしないけどツイードが好きでとチェックの本を注文してくださった方でした

ほかの方とはちょっと違い、服地だけを熱心に見て、眺めて、触って・・・
エステートチェックの話をひとしきりし・・・・
英国でも少ないのに日本にツイードを織っている人がいるとは驚きだと言われ、舞い上がる私

その中で伺ったのは、ツイードが好き、でも最近は手に入りにくいので眠っている布をさがして
仕立ててきているマニアックな人たちのお仲間がいるという話
服地も寝かせて熟成させると、とても良くなる・・・とずっと眠っている服地に光が当たりそうです

昨晩はスコットランドの先生Davidに電話で報告、喜んでくれました
会期はあと2日
どんな出会いがあるか、楽しみです

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