新しい出会い

先週工房に織りに来られたHさんが
手紡ぎ、手織にされたマフラーを見せてくださいました
丁寧に、丁寧に手をかけられたことがそのまま伝わってくるような作品です



詳しく聞いてみると
オーガニックのペルーピマという綿を紡ぎ
やはりオーガニックのミシン糸と撚り合わせたカベ糸を
少し組織が入った平織りにしたとのこと
綿の入手先増田製綿工場をネットで見てみると、面白そう!!!

場所が予定していたお出かけ先に近かったので
早速訪ねて工場を見せていただきました



3代目ご主人ご夫婦が綿の話をしてくださいました
羊毛のカード機は沢山みていますが綿用は初めてです
近所にふとん綿の打ち直しをしているところはあるのですが
見せてもらったことはありませんでした

一番興味があったのが、違う綿が揃っていること
工業用とは違う綿を、手仕事用に取り揃えて販売しています
どうやら綿の紡ぎをしていらっしゃる方々には知られているお店のようです
羊毛から入って、アメリカで毛刈りをしたこともあるが行きついたのは綿だったと
ご自分でも紡いで織っているという奥さんのお話からは
綿が好きで楽しんでいらっしゃることが伝わってきました

綿の違いをお伝えできるほどは知らないので控えますが
ペルーピマとスーピマの違いが判りました
ペルーピマはペルーの綿栽培に適したところで育つもので、産量は少なく
そのピマの綿をアメリカへ持っていって栽培しているのがスーピマで
これは工業用に大量に生産しているとのこと

やっぱり持って帰りたい~
ペルーピマ(白)と茶綿のペルーを買ってきました
同じペルーでも手触りがとても違います!
羊毛と同じ、自然繊維に興味を持ってもらえると嬉しいです

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介護のちょっとした工夫2 〈書いて伝える〉

時間が過ぎて、毎日していたことも忘れてきていますね
介護の話の続きです

母がまだ自分で食べられていた頃、お昼のヘルパーさんは会わないので
出かける前に冷蔵庫の脇に置いたホワイトボードに
母の様子や昼食の内容など伝言を書きました
常々の心遣いのお礼の言葉も伝えました

冷蔵庫を開けたところに〈今日の昼食〉とメモをつけて
いつも同じところに置くようにしました


寝付いてオムツ交換をヘルパーさんにしていただくようになって
寝室の隣の納戸に場所を作り、必要なものを並べました
電子レンジで温めるタオルが冷めないように小さな保冷箱も役に立ちました

そして体調が落ちてきた頃から介護日誌を付始めました
家族も含め複数の人が関わっているので、前の様子や伝言などの連絡にとても約に立ちました
父は寝付くことがなかったので、1冊でしたが、母は6冊になりました

ヘルパーさんは来るとまず目を通して参考にして下さり
その日のことを書いてくださいました

訪問看護師さんもその日のバイタルの様子などを書いてくださいました
留守中に来てくださることが多かったので様子がわかって助かりました
(必要があれば電話連絡がありました)

時々来てくれる妹にも、いつもの様子が伝わり
また妹の記録で、他の時より元気が出ることなどわかりました


そしていつも見ている家族も、様子を覚えていることが出来ないので
1日の食べる量や、眠っている時間や、オムツ交換の様子など
お医者さんや看護師さんに聞かれても、伝えることが出来ました

でも、後で思い起こすと自分の記録だったような気がします

私はこれができましたが、手抜きもいっぱいあるし
解っていても、自分が疲労しすぎると しかなったこと も多々あります
時に自分のことを諦めると、少し体力や時間が楽になるかなぁ~という時もあり
その後は、介護者が自分を無くして、母が喜ぶはずはないという葛藤でした

何か役に立つヒントがあれば嬉しいです

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作品展へ

娘に誘われて、手織りの作品展に行ってきました
北欧の織りを一緒に学んだ仲間でブランドを立ち上げた
Idunnの初めての作品展



北欧らしい布が素敵でした
私のまわりにある手織りの布とは違うものがたくさんあって
とても良い刺激をいただきました

昨日は、タリフの同窓会をしました
講習が予約制なので、色々な人が出合う機会は多いのですが
それでも、平日に来られる方、週末しか来られないかたは
同じ時期に教室に通っていても会ったことが無い方もいたりします
引っ越した方が訪ねてくれて「会いたかった~」ということがあったり
しばらく工房に来られていない方に会いたかったり・・・

ご都合がつかない方もありましたが
織り機が増えて狭くなった工房に15人が集まりました
お喋りに夢中で写真がありません~

長く通って顔見知りの方々は久しぶりの再会を喜び
以前通っていた若い方が4人来てくれて、
これからどう織りを続けるのかの模索している様子を共有する機会になったようです
型にはまった生き方ではなく、どう自分らしく暮らしをつくっていくのか
経済的なことを含め難しい課題もありますから
簡単ではありませんが、可能な限りやりたいことが出来るように応援したいですね
さしあたり、人にお膳立てしてもらうのを待つのではなく
自分からアクションを起こして、試してみることをお勧めしました

同窓会の参加者と一緒に工房に来られたMさんから
経糸の巻取りで大変な思いをしている話を聞きました
近いうちに「千鳥格子のマフラーを織りましょう」の冊子で紹介している
機かけを実際に見ていただく講習会をしたいと考えています

その他、こんなことが知りたいというご希望があったら
リクエストしてくださいね

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介護のちょっとした工夫1

母が料理ができなくなった頃、
ヘルパーさんにお願いしたことがありました
でも限られた時間で、台所もきれいに片づけるところまでしなくてはならず
主婦があれこれ同時進行するようなわけにはいきません
母が寝付いてからは、「時間が足りなくなったら台所の片づけはできなくても良いから
母のケアを優先して欲しい」とお願いしました
ヘルパーさんは「決まり通りにする」が身についているので
このようにお願いするとヘルパーさんも働きやすいように感じました

以前は宅配のお弁当を使っていましたが、
母の介護ではもう飽きてしまっていたので、私が頑張りました!!!
カレイの煮付けにに豆腐とほうれん草のお浸しを加えて煮たり
ひき肉入りのぎせい豆腐、野菜スープ、かぼちゃの甘煮・・・・
タラでグラタン、芋リンゴ(サツマイモとリンゴの甘煮)この2つは妹
でも、私の多くはワンパターンの繰り返し
良く我慢してくれましたね

だいぶ食が落ちた父が、甘辛の濃い味付けで牛肉を食べたいというので
しゃぶしゃぶ用の薄切りを買って作ってみても
とっても薄いので、あっという間に火が通りすぎ硬くなりました
最後に見つけた方法は、
砂糖と醤油をフライパンに入れて煮たてて火を消す
しゃぶしゃぶ用のお肉を広げて入れてから、火をつける
お肉に丁度良いくらい火が通ったら、お肉を取り出し
残りの煮汁を少し煮詰めて火を止めてから、お肉を入れてからませる
これができた時には、父の食欲も落ち気味、続けて作ることはありませんでした
後日このやり方で、母にはすき焼き風煮も作りました

お魚や卵焼きなどは電子レンジで温めると固くなるので
ホイルに包んでオーブントースターで温めてもらうのは良かったです
お粥が熱ければ、おかずは室温で大丈夫
熱くしても、すぐには食べれないのですから・・・

父は熱々の汁物がすきだったので、広口のポットに入れて
テーブルに置き、自分で食べる時に器に移してもらうと
電子レンジでの温め直しも要らなくなりました

自分で食べられなくなって、飲み込みも弱くなってから
好きだったのがシュークリーム(クリームだけ)
合わせてプリンやフルーツゼリーを買って来ました
その内、100%のフルーツジュースを使って
規定量の1/3のゼラチンで口の中で溶けるくらいのゼリーを作りました

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織りあがった作品

今日は織りの話

先週から連続で工房に通われていたHさんが
予定の最終日、初めての単糸の大判マフラーを織りあげました



Hさんは旅行に行く代わりに・・・と近くにホテルを取り
2~3か月に一度来られています
怪我をされた後、今回は久しぶりでした

ご自分で綿を育てて紡いで織って・・・と出来るのですが
新しいことを習ったり、工房で他の方々との交流を楽しまれています
と~っても丁寧な作業で、私も真似できません
織りあがった作品も、とてもきれいでした
「この糸はここまで気を使わなくても大丈夫よ~」と言ってみたものの
それがHさんの楽しみ方のようです
楽しいのが一番ですね

そしてもうすぐ卒業されるSさんは大きな織り機で
カシミヤのストールを織りあげました
Sさんも、「いつも何か間違えるから」といいつつ
とても丁寧に織りあげました



母の介護が終わるのを待っていたかのように
次の仕事が入ってきました
講習の企画アイディアもいろいろあるし
これまで制限されていたお出かけもしたいし
忙しい春になりそうです~

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外から受ける支援

在宅介護には、家族以外に、外からの支援が必要です

父の介護の時から、何人ものヘルパーさんに助けて頂きました
始めてみて、ヘルパーさんの決まり事が支援の仕方を制限していることを初めて知りました

ケアマネージャーとの相談でどのようなサービスを希望するかで
支援の内容が決まり、介護を受ける人の状況で細かく決まりがあるようです
でも、目の前の状況は一定ではありません
それを決まりから大きく外れずケアしてもらえるか・・・

最初は解らず、試行錯誤が続きました
そして気が付いたこと
やり方が違うとか、これが どうのこうの 思うのではなく
ヘルパーさんに〈お世話してあげたい〉と思ってもらうのが大事だということ
同じ事業所から来てくれた方でも人によってやり方は違います
大勢に影響がないことは、細かいことは気にぜず
その人の好きなやり方でしてもらう
でも、やり方を変えて欲しい時は、上手にお願いする

家族が手抜きをしていたのでは、
ヘルパーさんもほどほどで大丈夫だと思うかもしれません
手伝って下さる方をどうやって味方につけるか・・・

そのための工夫はまた次に
時間切れです~

そろそろ織りの話題も入れましょうね

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介護が始まる前に

在宅介護を始める前のことがありました

母の葬儀に集まってくれた親族の中にも
そろそろ介護が必要になりそうな叔母夫婦もいます
この先どうするつもりか聞いてみると、
「できなくなったら考える」という返事です

でも、この時点で、多分自分では考えられない状態になっているでしょう
自分で地域包括支援センターへも行かれない
沢山ある書類を読んでも、理解できない
介護保険を使えるようになるまで、時間がかかるし
いくつもの契約書に住所氏名を記入捺印して・・・と

一番難しいのが、自分たちの暮らしに他人が入ってくることへの抵抗感でしょうか
家族以外の手助け無しに介護はしてもらえませんから
そのために準備をしておくのも大事です
我が家は父にその傾向が強く、少しずつ慣れてもらう必要を感じていました
そこで、介護保険を使える状況になる前、社協の有料家事援助をお願いしました
1週間に1回、1~2時間、暮らしているスペースの外にある
お風呂、トイレ、玄関回りのお掃除をお願いしました
始めは少々難色を示すも、母が大変だから・・・と説得しました

介護の責任を負う子供たちも、事前に相談しておくことが大事ですね
自分たちがどのくらい関われるのか、どうしてあげたいのか・・・
経済、時間、体力、親との関係 などなど
子供たち主導で介護を準備することも大事だと思います

在宅介護をするつもりなら、在宅医療をしている先生を見つけて
介護が必要になる前から、診てもらって信頼関係を作っておくのも大事です

介護のキーパーソンになるのが、ケアマネージャーですから
相性が合う人を見つけるのも大事、でも難しい!
周りの人に聞いて良い人を見つけても、そういう方は大抵担当する人数に空きがありません
「嫌なら変えられる」と言われますが、その度に新しい契約書を交わします
我が家は諸事情で3回事業所を変えましたが、最後は面倒になりました

介護が始まってしばらくして母が「介護される方に教育が必要だ」と言いました
「他の人の手を借りなければ命を終えることが出来ない」
「全て自分が望むことは叶わない」と思った方が良いほど我慢を強いられることも・・・
まだできると思ってトイレにいって衣服まで汚してしまって
結果手伝ってもらうよりもっと大変な思いをさせてしまったり
来て欲しいのに、自分でブザーが押せなくなれば、来てくれるのを待つしかないし
欲しいものが食べれなかったり、食べたくないものを口に入れられたり
大変な思いを強いられるのです
「その覚悟をしておきなさい」という母のメッセージです

一つ一つその葛藤を超えて「ありがとう」という気持ちを伝えてくれた母だから
私の在宅介護をやり遂げられたと思います

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在宅介護を始めるにあたって

私たちは、在宅介護をするための好条件がいくつもありました

両親とは全ての生活が2世帯で分かれて、でも家の中の戸でつながっていました
これはヘルパーさんが働きやすい環境でもありました
介護者以外の世話はできないいので
洗濯や台所の片づけなど生活支援に他の人の世話が混じりませんでした

私が仕事をしているため、ヘルパーさんの支援が必要に応じて制限が少なく
また、私自身家を離れる時間があり
家族以外の人に会うことや、介護を考えていない時間が良い距離を保ってくれました
それでいて、会社勤務ではないので、ある程度時間の自由が利きますし
仕事場が歩いて10分だったので、ちょっと帰宅することもできました

始めは1人で病院の外来に行けた母が、家の中で転倒して在宅診療に切り替えました
その時に病院と家族の話合いがあり、在宅の看取りに向けて
家族の意思の確認も含めたっぷり時間をかけてくださいました

この時、すでに家族として心の準備はできていたように思いましたが
「介護は離れている息子娘も含め全員で担うべきで、実際の介護ができなければ、
している人に対価を支払うというのが介護の基本ですよ」と言われました
私は、近くにいて兄妹より多く両親に助けてもらったから
多くを担うのは当然かと思っていたのですが、兄妹間ではそれは関係がないことだと・・・
対価を払ってもらうことはありませんでしたが、考え方の大きな指針になりました

そこで介護経験者が考える一番大事なポイント
「実際に介護を担えない家族は、口をだすな!」
離れてみていて、「こうしたらもっと良い」「ちゃんと面倒を見ていない」「親が可哀想」と思っても
精一杯してくれていると信じて、労をねぎらってください

もうこれ以上できないと感じながらも、目の前のこと精一杯していて
それを兄妹に伝えても、解ってもらうまで随分長くかかりました
口をだされて(本人は口を出したとは思っていない)それなら、
「私は介護から降りる!」と思ったこともありました
「仕事を止めて一緒に住んで、介護手続きから、
食べられるものを作り、オムツ交換・・・全部やれ!」と
言いようない失速でした

だから「手を出せない人は口も出さない」が大事です
精一杯してくれている人がほっとすることを、してあげてください

今日はここまで
父へのスコットランド土産のマグカップが戻ってきました

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在宅介護の始まり

終わってから「よく在宅介護を決断してくれた」と家族から言われましたが
それは、私にとっては当然だと思っていました

私が小学6年生の1年間、曾祖母(同居していた父方祖母の母)と暮らしました
痴呆症で1世代上の人たちの名前で子供の私たちを呼び
何度も同じ少女漫画を読み、雑巾をチクチク縫い
人はボケるとこうなると子供心に深く残りました
私たち子供には「可愛らしいおばあちゃん」でしたが、
嫁の母は辛いこともあったようです

私の子供がまだ幼いころ、両親が祖母を自宅で1年介護、96歳で看取りました
近くに住んでいたので、度々その様子を見ていました
その少し前に、母方の祖父も叔父夫婦の在宅介護を受けて自宅で亡くなりました

兄は医学生の頃から終末期医療に関心を持ち、今は在宅医療に深く関わっています
私の身近にも在宅診療の先駆けとなったお医者さまがいらっしゃいました

学校卒業後の語学留学から帰国したばかりの頃
何もすることがなかったからと、日野原重明先生が開いていた
在宅介護の講習会にも行きました
何をどう習ったかは覚えていませんが
寝たきりの方のシーツやパジャマの交換の仕方はこの時知りました

という具合に、幼いころから両親を在宅で看取る準備が進んでいました

知らずに在宅介護を始めた訳ではないのですが
やっぱり、多くの犠牲が強いられました
父は、自分で望んでいた通り心不全で寝付くことなく逝きましたが
母は徐々に弱り、寝付いて4か月余り、時間的にも体力的にも大変でした

それでも、終わりを迎えようとしている母に寄り添わせててくれたのは母でした
この介護に多くを担ってくれた娘も
「おばあちゃんだからできるけど、おじいちゃんだったらしないよ~」
それほど、大事なおばあちゃんでした

憎たらしく思う人にやさしくはできませんね

先々優しく世話をしてもらいたいと思う方、今の自分を考えましょう~

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次のステージへ

在宅で介護を続けていた母が8日に永眠しました



昨年秋に寝付いてから、命を終えようとしている母に寄り添い
時を選んで終えていったようにも思えるタイミングでした
私が側にいたし、春の明るい陽射しの中でした

両親の側で暮らし、在宅で看取りをしたいと思っていたので
最初に心にあったのは、その願いが達成できた感謝です

介護中は辛いことも多かったし、離れて暮らす兄妹とのバトルもありました
でも、時々に多くの方に支えて頂き、
実際の介護は最良のチームワークでした
ヘルパーさん、訪問看護士さん、介護用品の貸し出しの担当者
そして在宅介護の軸になる訪問診療のお医者さま
長く在宅診療をしてこられた中島先生は、
診察の後いつも讃美歌と祈りで支えてくださいました
写真は看取りのために駆けつけてくださった時
私の大切な1枚になりました

私の体験が、介護中の方、これから介護が始まるだろう方に
役に立つことがあるかもしれません
少しずつ発信していきたい(今度こそ有言実行!!)と思います
忘れないうちに・・・

次のステージへ向けて進みます

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