11月末にお客さんからの注文をまとめ、
1月お正月休み明けにスコットランドの工場に注文を出した糸が
今朝やっと届きました
3ヶ月近くかかりました
船便でもないのに何でこんなに日にちがかかる・・・
要するに仕事の仕方の違いでしょうか
届いた約170kgの糸を工房の仕事が終わった5時ごろから
息子と2人、色と重さを点検しながら整理、収納
糸をストックしている屋根裏部屋まで息子が少しずつ運んでくれました
在庫を増やしてきたら、置く場所が無くなってきています
やっぱり広い場所が欲しい~
簡単な夕食をはさんで、10時頃までかかりました
腰が少々痛い
そこいらじゅうに糸が置いてあり
我が家の愛犬は『どこに居たらいいの~』とうろうろ
しばらくは居間が作業場と化します
さあ、コーン巻き機の出番、注文を頂いた分を巻き始めます
もうちょっとお待ちくださいね
2011年 3月 の投稿一覧
女3人旅 3
旅行最終日、まずは朝食前に浴衣を着て外湯へ
目指す一の湯がお休みだったため、地蔵湯に変更
人が少なく、のんびり出来ます でも湯当りしないように短めに・・・
20品目はあると思われる和食の朝食、これももちろん完食
お留守番組にお土産を送ることになりました
紹介し忘れていましたが、今度の旅のお宿は三国屋さん
気配りが温かいおもてなしにお礼を行って、荷物を置かせてもらってチェックアウト
三国屋さんと同じく妹が訪ねたかったつばきの旅館のギャラリー花椿へ
温かいお顔のお地蔵さんと添えられた一言に心温められました
12時少し前に鳥取行きの電車にのりました
途中で最近新しくなった餘部鉄橋を通りましたよ~
鳥取では鳥取砂丘へ
入り口のお土産屋さんに母を残し二人で砂丘を登りました
青空がきれいだったので、海と砂丘のコントラストがとてもいい
自然の力を身体で感じました~
天橋立も、鳥取砂丘も、その他の地形も全て、少しずつ長い時間の後に作られた
その時間と小さなエネルギーの蓄積に不思議を感じる旅になりました
出来れば東北関東大震災のように
膨大なエネルギーで短時間に地球を変えることが無いといいのですが・・・
それも長く広い宇宙スケールでは小さい事なのかもしれません
鳥取空港から羽田へ
少しゆれた機内で妹が『地震のときこれ位揺れた、思い出すなぁ』と言った
きっと被災者の方々はしばらく飛行機に乗れないかも
非日常の時間をもつ事ができて、リフレッシュ
少々のことでは'へこたれない'ぞ ~ ~
昨日糸が成田空港で通関完了、今日届くかな???
糸が届く前の駆け足の旅行報告でした
女3人旅 2
旅行の2日目はレンタカーで移動しました
まずコウノトリ公園へ
施設は休館日でコウノトリの姿も資料も見る事ができませんでした
それから出石(いずし)へ行って皿そばを食べました
1人分5皿ですが、朝ごはんを沢山頂いたので、2人分を3人で分けました
腰があって美味しかったです
お腹が減っていないというのに食べてしまいましたね~
山道をひたすら走って約1時間
京都府にある天橋立へ
ケーブルカーで展望台に上って、上から眺めました
股覗きで見ると天に昇れるように見えるとか・・・
体が硬くてみっともないなぁ・・・
体操の先生をしている妹はかっこよく前屈してました
時間があまりないし、風がとても強かったのですが
ちょっと天橋立の端だけ見ようといってみたら、回転する橋が動き始めていました
『何度来てもみれない人もいるんだよ~』とおじさん
ちょうどニッケルを運んできた大型船から、小型の船に積み替えて
湾の奥にある工場に運ぶ最後の日だったそうで、短い時間に2度もみる事ができました
自然が長い時間を掛けて作った砂浜、日本三景の一つで
もう少し温かく、時間が合ったら砂浜を端まで歩いて
美しさを堪能で来たのになぁ・・・
ちょっと残念
帰りは海岸線をまわり、暗くなって城崎に戻りました
普段カーナビは使っていませんが、この日は沢山お世話になりました~
知らない土地でのドライブではとても助けてくれますね
女3人旅 1
旅行の行き先は兵庫県北部、城崎温泉でした
妹がかつてお世話になった方々を訪ねたいという長年の願いがかないました
そこで、初めての経験が沢山ありました
その1 初めて浴衣を着て外を歩き温泉に入りに行きました
和服には全く縁がなく、浴衣を着ることも無かったのですが、妹の
『浴衣を着て下駄を履いて外湯に行かなきゃ温泉に来た意味が無い』の一言で迷いを払拭
浴衣を着て歩く時の歩幅は普段の半分、
浴衣のサイズがちょうど良かったので着崩れする事もなく助かった~
夕食前の温泉は、少々私には熱く湯あたり気味
その2 2時間掛けて頂いたかに三昧の夕食
お刺身、かにシャブ、焼きがに、ゆでがに、最後のお雑炊・・・
本場で頂くかにの味は格別でした
『そんなに沢山食べられるかしら~』と仲居さんに言いながら、完食しました
~~ 一生分堪能した気分です ~~
感謝、感謝。。。。
今年の計画 その2 工房
前からの計画で21日から23日の2泊3日母と妹の3人で温泉に行ってきました
大地震で被災した方々には申し訳ないような・・・
でもリフレッシュして、元気になることも良い事だと
しばし、日常を離れて楽しい旅をしてきました
その話しに入る前に、今年の計画その2について書きたいと思います
その2の計画は少々手狭になってきた工房のことでした
糸屋として少しずつ仕事を広げて行きたい
その為にも広い所へ移りたい・・・と思っていました
そんなことを考えている矢先、糸の輸入に関してトラブル発生
この計画遂行の為に10枚カードが要るとして、8枚くらい持っていると思っていたのに
次々このカードが消えて行き、それを再度獲得するためにはエネルギーが沢山要る
でも、カードが消えていく度にエネルギーを消耗してしまいました
なので、発表できずにいたわけです
が、今は他に力を使いたい事があり、
今年の計画その2は取りあえず棚上げすることにしました
手織工房タリフを始めた時から自分に言ってきた
『自分の身の丈にあわせた仕事』を再確認しました
その2は棚上げですが、糸の販売に関して状況変化に伴って価格等の見直しをしています
大体形になってきましたので、
新しい割引制度も含め近日中にお知らせしたいと準備を進めています
計画その3のチェックデザインに関することをまとめたいということも
思うようにサンプル織りが進まず、自分の織りも進まず、
計画がどんどん先延ばしになっています
(頭の中で些細なアイデアは次々あるのに、具体的にするのに時間がかかってしまいます)
旅行中に出会った言葉
『なんとかなる』『あるがまま』
なんとも心がほっこりする言葉ですね
UKからお見舞いメール
東北関東大震災の被害にあわれた沢山の方々
そして日本中の心を痛めていらっしゃる方々
心よりお見舞い申し上げます
東京では実害がなかったものの、
周りの人々が不安を感じているのが伝わってきます
手仕事だいすきな私たちの仲間の中からも、時間があるのに何も出来ない・・・
という声も聞こえてきていました
多少の不安要素を抱えていた方々はもっと不安でしょう
そんな方々へ、UKから送られて来たお見舞いメールに書かれていた
日本の皆さんへ向けられた暖かい応援メッセージを伝えたいと思います
スコットランドの片田舎で地学を勉強しているジェインは
常日頃火山や地震の情報がとても早く、その規模の大きさに驚きを隠せません
この言葉がとっても温かい~
Our hearts go out to you and to everyone in Japan
手織りコースの会場だったファームハウスのケイトはお嬢さんが日本に居たため
すぐ大丈夫か?とメールが来た 『連絡が取れないけど・・・』
すぐ様子を知らせたら安心してくれた
ロンドン南西部の田舎に住んでいるSusanからの長いメールの一文
I just wanted you to know that we in England are thinking of Japan
all the time
スコットランドチェックの本輸入元、大手の織物工場ジョンストンズのモエラから
心配しているとメールをくれた
お母さんを亡くしたばかりのナンシーは簡単に大丈夫??
でも、あったかい!
デイビットから来ないなぁ~ と思っていたらどうやらメールの不具合で届いていないだけ
出しても返事が無いので電話して地震の日に送ってくれたことがわかった
話しは地震のことよりメールサーバーの不具合?という話しが殆どだった
どの文面にも、私たちの心はあなたたちと一緒にありますよ~と伝わってくる
先日の天皇陛下の励ましの言葉にも、世界の元首からのお見舞いに
『私たちの心はあなた方と共にある』とあったことで感動されたという内容があった
それ程今度の地震は大きかった
地球規模で心を揺さぶられるほど大きかった
だから実害が無い私たちまで動揺しても仕方が無い
平気な振りをするのはやめよう
不安を感じていいんだと思ったら、ちょっと安心
こんな時こそ自分の心の声をきちんと聞こう
そう思ったら、少しずつ元気になってきた
みなさん~ 世界の人たちがパワーを送ってくれていますよ~
みなさまどうぞお大事に~~
良かった~ 2
福島の原子力発電所から出る放射線の影響が少しずつ広がって
日本を脱出する外国の人が増えていると聞いた
先日のスコットランドの2人、あのタイミングで帰国して本当に良かった
その彼女から白馬での写真が届いた
3月だと雪が硬くなり始める事もあるけれど
今年はこの時期に雪が振り最高のコンディションだったそうだ
後に見える山もすばらしい
東北関東大震災の影響で、成田空港の貨物受け入れに支障があり
糸の輸入が又先に伸びています
今回は日本の運送業者に依頼しているので、後は待つだけ・・・
もう少しお待ち下さい~
良かった~
森岡のお得意様《彩楽さん》から電話があった
ずっと気にはなっていたけれど、大変な時に電話は遠慮した方が・・・
と思ったら、単糸の注文販売の確認のことで電話をかけてくださった
「家の中のものは少し壊れてとっても怖かったけど、
電機も回復し水道ガスも使えるので、大丈夫です」との事
お元気そうな声で安心しました
でもまだ何も手がつけられない・・・と言っておられた
そうですよ~ 私たちの仲間の間でもこんな言葉を耳にします
原発の事も気になるし、それなりのショックを受けている
沢山の方々に気をもませ心配して頂いた父ですが
こちらから迎えに行こうという相談をしていた矢先
連絡もせずに行動開始、突然
「タクシーで山形まで来た、タクシーで新潟へ、新幹線で帰る」という電話
もうすぐ自宅に帰えってくると思います
せめて、歩いて10分かかる駅まで車を出しましょうか・・・
「どれだけみんなに心配掛けたかわかってる?」と言いたいといったら
母にたしなめられた
これだけマイペースだから、自分で帰って来られたのでしょう
ホントに強運の人です
強運の人
父の事でご心配をおかけしました
今朝、本人から電話がありました
地元でお世話になっている方の家が被災を免れ
そこへお邪魔しているそうです
食料の備蓄とプロパンガスが使えることで
食事も困っていない様子でした
息子さんも来ているというので、安心しました
どこかの避難場所の隅っこで小さくなっているのかとか
ボランティア精神に火が付いて年取っているけど医者として役に立っているのかとか
携帯をもっているのに電源を切っている(いつもの事だけど)し
自分から連絡をしてこないということから
かなり気力がなくなっている???と心配した
娘はネットで公開されている避難所の名簿の写真を熱心に探した
でも、多分これほどの事とは思っていないのだろう
自分はちゃんと対応できているから大丈夫と心底思っている
終戦直前の北海道の山日高でも命拾いしているし
戦争中も、一時的に視力を失ったけど、回復した
本当に強運の人だなぁ~
移動可能になれば、息子さんに手伝ってもらって帰って来るだろう
それまで、母ものんびりすると決めたようだ
終電 そして 始電
一昨日の大地震の影響でスコットランドの2人の
たった1週間の日本滞在の最後の1日は散々の体験になった
英国では地震被害のひどさに加え原子力発電所の事故を大きく伝えているらしい
スコットランドの親御さん達から、一刻も早く日本を離れるようにと再三電話が入ったらしい
東京は、電車の不便以外殆ど通常と変わりが無いけど・・・
遠く離れた異国の人々はただただ心配なのでしょう 当然!
延泊した白馬から様子を見ながらバスで長野へ
宿を出る時は関空からの飛行便で帰国するから
残していった荷物を送って欲しいという連絡があった
しかし山から降りて来て人々の様子をみて、
ちょっと大げさに考えすぎたと彼女が気がついた
誰もあわてず、穏やかに毎日の暮らしを続けている・・・
電車で松本へ、タイミングよく動き始めた中央本線で新宿へ
荷物を取りに来て、夜の内に成田空港へ移動する・・・
ということになっていたのですが
新宿から池袋への移動の間にスコットランドの彼のお母さんから
「英国大使館が臨時便を飛ばすらしい、それに乗りなさい~」
と知らせが入ったらしい
それには急いで成田空港に行かなければ・・・
さてそれから
息子Yと2人で置いていった荷物を持って追いかけた
京成電車は動いていたけど、各駅停車のみ
それも折り返し運転をしていて、乗り継ぎが悪い
いつもより1時間の長くかかってやっと到着したのが10時過ぎ
大使館がチャーターした・・・なんていう便は無かったけど
ターミナルの入り口で彼女に会って抱き合って無事を喜んだ
ターミナルに泊まるけど、もうお店はしまっていて
「あるのはマクドナルドのチキンバーバーだけ、ポテトも無い」と彼
「それでもいいからかって置いて欲しかったなぁ~」ぼっそっとY
夕食抜きで飛び出したからね
ディズニーランドへも行かれず、散々の最終日
無事帰られるようになって良かった!!!
又必ず来るという約束をして別れを惜しみ
急いで帰りの電車に飛び乗った、それがアクセス線の終電、でも3駅先まで
その次に来た押上行きも終電、青戸で上野行きに乗り換えるが
30~40分待って、やっと来たのが終電1本前
青戸に着いたあたりで日付が変わり
12;18清瀬に帰れる西武線の終電に乗るのは無理
朝を待つなら上野?と思って行ったら山の手線終電池袋行きのに飛び乗れた
池袋へ着いたのが1:30am 西武駅はシャッターが閉まっていた
まっすぐ息子Kが調べてくれた池袋の24時間営業ファミレスへ
7時間遅れで食事をすることがで来た
始電は5時、それまで3時間くらい・・・
初めての朝帰りでした
長~い1日でした
彼らはほぼ定刻発の予定通りの飛行機で今頃空の上
待っている家族も安心するでしょう
その後父とはまだ連絡取れず、どこかの避難所にいるのかも
信じて待つしかない
ご心配頂いた皆様、ありがとうございます
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